プロフィール

プロフィール

1960年(昭和35年)8月8日行田市荒木生まれ
曾祖母、祖父母 両親 叔母、兄と8人の大家族で育つ。
小さいころから雨戸締め風呂焚き玄関掃除、など手伝いをするのが好きだった。
家族の役に立ちたい、おじいさんおばあさんを助けたいという気持ちが強かった。

行田市立荒木小学校卒
行田市立見沼中学校卒
自然豊かで教育熱心な行田の地で学び育つ。
中学時代は生徒会副会長として校内に目安箱を設け、生徒の意見を聞くシステムを作った。
ある日その目安箱の中に男子生徒からの要望書が入っていた。
「頭髪を自由にしてほしい。丸刈りにしなければならない理由が分からない。」学校と交渉を重ね男子頭髪自由化を実現した。
当時はどこの中学も入学時に男子は丸刈りにする校則があったのです。
また、女子でもサッカーをしたいと女子サッカー部を作る。

  県立熊谷女子高等学校卒
自由自主な校風。女子校なのにバンカラ。
ここでも旅行研究会、日本史研究会と新部を立ち上げる。
卒業生総代に推されるも浪人決定だったため辞退。

中央大学文学部卒
三島由紀夫に心酔し心より文学がやりたいと。
法学部との間で迷ったが文学への思いはやまず文学部へ進学。
学外の三島由紀夫研究会に所属し三島ファンが全国から集まる月一回の例会の講演会開催準備に奔走した。

  中央大学法学部卒
しかし、のちに夫のアメリカ大学大学院留学に同行。
アメリカで暮らすことになり法律の大切さを思い知らされる。
世の中は何事も法律によって規定されていると痛感。
帰国後子供のことも考え、中央大学法学部の通信教育課程に学士入学した。
ただ、入学はできても卒業することがほとんど不可能という、とても難しいことで有名だ。
毎年卒業できるのは全体の3%~7%平均5%というまことに厳しい関門である。
私も今までの長い学生生活の中で、この時ほど真剣に勉強したことは無いと思う。
仕事をしながらだったのでなおさらきついものだった。
真夏の太陽にぎらぎらと責められながら中央大学多摩校舎にスクーリングに通い、論文能力を磨くため自主勉強会に参加しましたが、なんといっても遠い。
子供が小学校から帰ってくるのを迎えてから御茶ノ水校舎まで荒木から通ったものでした。
卒業式は感動でした。
雛壇にマスコミが鈴なりフラッシュをパシャパシャ焚きつづけています。うわーすごい。約20年前の卒業式はこんなにぎやかじゃなかったなとびっくりしていると、それもはず、蓮池薫さんがいらしたのです。
ほんとに近くに着席している。
中大法学部4年生の時拉致されご両親がその後もずーっと学費を納入し続けた。
帰国され中大に復帰、教授の出張授業や通信を受けこの年晴れてご卒業となられたのでした。
私としても【救う会】事務局で救出のためのボランティアをしていたこともあり本当に二重にうれしい卒業式でした。

 

 

お気軽にお問い合わせください

contact

Return to Top ▲Return to Top ▲